弊社パートナーコンサルタント・佐藤良氏の人気コラムより、マイケル・サンデル氏『実力も運のうち 能力主義は正義か?』の書評をお届けします。
2019年、スウェーデンの調査機関V-Demは、世界の民主主義国・地域が87カ国であるのに対し、非民主主義国は92カ国となり、18年ぶりに非民主主義国が多数派になったと発表しました。今、危機に瀕している民主主義。バイデン大統領が民主主義サミットを実施したのも非民主主義国の勢いを止めるためです。しかし当のアメリカが…… 。
民主主義では「努力と才能で人は誰でも成功できる」とされています。これを実現できてないアメリカの問題点を指摘したのが、マイケルサンデン氏の著書「実力も運のうち」です。全3話の中編で構成されており、民主主義が衰退している原因がわかります。 では、サンデン氏の著書を要約しながら「実力も運のうち」という、タイトルの真意を紐解いていきましょう。
オバマが唱えた恩義と分配的正義
オバマが再選を目指した2012年の選挙運動中に、市民の相互依存に対する義務感を呼び覚まそうとしました。オバマはこう述べています。 「あなたがこれまで成功を収めてきたとしても、独力でそこへ到達したわけではありません。『成功したのは自分がとても賢かったからにすぎない』と思っている人たちには、いつも愕然とさせられます。世の中に賢い人はたくさんいます。自分が成功したのは、ほかの誰よりも懸命に働いたからに決まっていると言う人もいます。ひとつ言わせていただければ、懸命に働いている人はいくらでもいるのです。あなたが成功を収めたとすれば、そのような人たちがどこかで手を貸してくれたはずなのです。あなたの人生のどこかに、すばらしい先生がいたのです。あなたの成功を可能とする、このアメリカのシステムを生み出す手助けをしてくれる人がいたのです。道路や橋に投資した人がいたのです。もしもあなたが企業を営んでいるなら、それを築いたのはあなたではありません。誰かほかの人が、それを可能としてくれたのです」
彼が言おうとしているのは、成功者はそれを可能にしてくれたコミュニティに恩義があるということにほかなりません。ただ、共和党からは「大きな政府を目指している」と非難されました。分配的正義が提唱しているのは、運のいい者は幸運によって手に入れた成功の一部、あるいは全部を運の悪い者に譲るべきだという考え方。聞こえはいいですが【運の平等主義】の哲学は、功績や手柄に関して厳格な評価を要求していることがわかります。
この哲学によれば、人々が補償を受けられるのは不運が自ら制御できない要因のせいである場合に限られ、例えるなら公的支援(生活保護や医療など)を受けられるかどうかは、困窮の原因が運の悪さなのか、選択の誤りなのかで変わってしまいます。また、保険に加入しないこともひとつの選択となり、選ぶ人は自分に降りかかる不運の大半に責任を負うことを覚悟しなければなりません。たとえば、保険に入っていない人が自動車事故で大怪我をした場合、運の平等主義者はその人が事前に保険に加入できたかどうかを知りたがります。そうした保険に入れなかった、あるいは加入する経済的余裕がなかった場合にかぎり、コミュニティは治療費を援助する義務を負うという考え方なのです。
また、保険に加入しないこともひとつの選択となり、選ぶ人は自分に降りかかる不運の大半に責任を負うことを覚悟しなければなりません。たとえば、保険に入っていない人が自動車事故で大怪我をした場合、運の平等主義者はその人が事前に保険に加入できたかどうかを知りたがります。そうした保険に入れなかった、あるいは加入する経済的余裕がなかった場合にかぎり、コミュニティは治療費を援助する義務を負うという考え方なのです。
アメリカンドリームは本当か
20世紀初頭、アイビーリーグではプロテスタント・エリートの上流階級向け私立寄宿学校出身者であれば概ね入学が認められました。現在の名門大学を能力主義の教育機関として位置づけたのは、1940年代にハーバード大学の学長だったコナント氏です。彼はマンハッタン計画に携わり「アメリカに上流階級が生まれることは、知性と学識が必要なこれからの時代に不適切である」と考え、能力主義を導入しました。
この【能力主義クーデター】を成功させるためにコナントがしたことは、前途有望な学生であれば、どれほど貧しい家庭の出身であろうと名門大学の教育を受けられる制度の創設でした。彼は手始めに、中西部の公立高校に通う才能ある生徒のため、ハーバード大学奨学金を創設。対象となる生徒は知能適性検査に基づいて選抜される方式になっていました。このテストでコナントがこだわったのは、測定するのは生まれつきの知能であり学科の習熟度ではないこと。特権階級向けの中等学校へ通った生徒を有利にしないための策でした。このために彼が選んだのが、第一次世界大戦中に陸軍で使われた知能(IQ)テストの一種で、大学進学適性試験(SAT)と呼ばれるテストです。やがて、コナントの奨学金プログラムは対象を全米の高校に拡大し、SATはその後、全米の大学で合否判定に使われるようになります。
コナントが求めていたのはあくまで流動的な社会であり、決して平等な社会を唱って貧富の差を縮めるものではありません。事実、彼が学長を務めた20年間でハーバード大学の入試が彼の主張した能力主義になることはありませんでした。任期終盤の1950年代前半でも卒業生は87%が合格しています。コナントが唱えた能力主義は、その後のアメリカの高等教育の自己理解を定義することになったことは確かです。多くの学長が能力主義を口にし、レトリックの点からも哲学的観点からも彼の能力主義イデオロギーは勝利を収めたといえるでしょう。ですが、結果は彼が期待したような展開にはなりませんでした。
その原因として、生まれながらの能力を測るSATの得点が本人の属する家庭の収入と相関関係にあったことが挙げられます。当時のアメリカにおいて、貧困層に生まれながら富裕層に上昇する子どもはめったにおらず、逆に富裕層に生まれて上位中流階級より下に転落する例もほとんどありません。無一文から大金持ちにのし上がるというアメリカンドリームとは裏腹に、当時のアメリカ社会ではヨーロッパの多くの国々よりも社会的地位の上昇が起きにくくなっていたのです。
「実力も、運のうち?」
「かつての世襲エリートが大した苦労もなしにトップの地位に就いたのとは異なり、新たな能力主義的エリートは刻苦勉励の末にその地位を勝ち取る。熾烈な受験競争の渦中にいれば、合格は個人の努力と学力向上の成果だとしか考えられない」。このような能力主義的なメッセージは個人の頑張りを必要以上に強調し、努力が成功につながったのはさまざまな恩恵のおかげであることを忘れた「おごりの現れ」として批判されるかもしれません。
その一方で、当事者である競争の勝利者は勝ち誇ってはいるものの、内面は傷だらけなことが浮き彫りになってきました。アメリカ内100校以上の大学の67,000人の学部生を対象とした最近の研究では、大学生が直面する精神的苦痛はかつてないほど大きく、憂うつや不安を感じる割合が高まっていることが明らかになりました。大学生の5人に1人が前年に自殺を考えたことがあり、4人に1人が精神的障害の診断、あるいは治療を受けたといいます。
頂点に上りつめた人に対しては、不安をかき立てて疲れきってしまうほどの完璧主義に導き、能力主義的なおごりと脆い自己評価でごまかすよう仕向ける。反対に置き去りにされた人には自信を失わせ、屈辱さえ感じさせるほどの敗北感を植えつける。コナントが創り、始動させた選別装置を解体したければ、能力による支配体制は上記のような二つの方向で専制をふるうという点に留意すべきです。
また、能力主義において成功すれば自身の手柄であり、失敗しても自分以外の誰も責められないという自己責任の考え方は、一見やる気を奮い立たせるように見えるものの、連帯と相互義務の感覚を芽生えにくくします。あらかじめ、このような相反する感覚を身につけていれば、現代の不平等の拡大に立ち向かえるのではないでしょうか。以上のことを踏まえて、ささやかな大学入試改革案を検討してみます。選別と競争の消耗サイクルを緩和するには、何から始めればいいでしょうか。
毎年、ハーバード大学とスタンフォード大学では、およそ2,000人の定員に対して40,000人を超える高校生の出願があります。入試担当者の話によると、出願者の大多数がハーバードやスタンフォードでの勉強に適格で、問題なくやっていけるとのこと。そこで私の提案は適格者2~30,000人を選抜し、入学者をくじ引きで決めるというものです。メジャーリーグで通算最多奪三振記録を作り、殿堂入りしたノーラン・ライアンがドラフト指名順で193番目、アメフト史上最高のQBといわれるトム・ブレイディが199番目だったことを考えれば、早い時期に実際の才能を見極めるのは難しいことがわかります。厳しい選別装置で決めても、適格者をくじで決めてもおそらく大差はないのです。適格性の基準をきちんと設けて、あとは偶然に任せれば高校生活は健全さをいくらか取り戻すでしょう。同時に能力主義によって膨らんだ慢心をしぼませる効果も期待できます。
いずれにせよ、頂点に立つ者は自力で上りつめたのではなく家庭環境や生来の素質などに恵まれたおかげであり、それは道徳的に見ればくじ運がよかったに等しいという普遍的真実がはっきりと示されるはずです。
いかがでしたでしょうか。サンデル氏の著書からは、コナントによる改革によって生まれた能力主義によって、勝者は行き過ぎたおごりと不安でメンタルにダメージを、敗者は耐えがたい屈辱を味わう構造ができてしまったということがわかります。その中でサンデル氏は、もともとの家庭環境やたまたま持っていた才能などに関しては、はっきりと「運」としたほうが、おごりを抑えられるのではないかと問いかけています。